國武先生のコシヒカリ物語

~コシヒカリが世に出るまでから
今日的問題まで~

第9話 横綱品種コシヒカリはデリケート

全国の11年産コシヒカリの作付面積は53.9万ha(34.6%)、連続21年首位を続けている。 トップの新潟は9.3万haで全国の17.3%を占め、県内作付率は80.6%である。コシヒカリに偏重しすぎているとの指摘があるが、「コシヒカリだけは農家をだまさなかった」と信頼され続けている。価格は低下傾向であるが他品種よりは高く、また、付加價値のある色々の売り方もあるらしい。 そこで、コシヒカリは横綱品種と言われている。しかし、コシヒカリは強くはない。 新潟コシヒカリが作付10%台から80%に伸び続けた期間の単収の変化を図に見てみよう。

新潟のコシヒカリと全体の収量変化

図:新潟のコシヒカリと全体の収量変化

手植時代から機械植え時代にかけての、400kg台の収量不安定期から、1980→85年の急上昇期、ここで540kgに到達した。これは、良質米生産の機械化早植え技術、葉色診断を中心とした生育制御技術、高温登熱克服(用水と栄養)による品質保持技術開発の9カ年のプロジェクト研究の成果と、普及・営農指導、農家の努力が遂次的に連動して、県内が燃えた特期に当たっている。しかし、ここで作付率が40→60%に拡大して無理がかかって収量は低下、最近では作付80%に増加するにつれて年次間の収量が大きく変動している。経営の主作を担う品種としては力不足だと言わざるを得ない。 新潟は、コシヒカリの高価格を維持すべく、栽培指針を改訂して、きめ細かな研究と実証と指導を行っている。単収が急上昇した当時の栽培指針を改訂し、1.8mm米選540kgを1.85mm米選540kgに変え、稲を小型化して減肥栽培を徹底している。幼穂形成期に近づく頃の、平野の稲色は澄んで美しい。玄米のチッソを従来の1.3%から1.2%以下に下げるため、基肥、穂肥を減じ、出穂期のSPAD値を30~33(葉色3~3.6)に下げる計画指導をしている。 1982指針の目玉の一つであった、高温下での稲体活力を維持し、倒状軽減と整粒向上を狙った、用水延長と穂揃期追肥のうちの、穂揃期追肥は禁止、2回目の穂肥も出穂期前10~12日前限りで、その量も1kg以下に止めて、玄米のチッソへの持ち込みを少なくしようとしている。 横綱品種とは強い品種ではない。流通条件を厳しく睨んで、精緻な生育制御を経営全体、全県的に具現しようとする微妙さがある。民間技術も、玄米チッソ1.1~1.2%の仕上がりは必須条件として、その組立てを行なうべきであろう。

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