國武先生のコシヒカリ物語

~コシヒカリが世に出るまでから
今日的問題まで~

第2話 コシヒカリの普及面積・長寿性

誕生から45年、光り輝く54万ヘクタールのコシヒカリ

  1. コシヒカリの誕生は食糧増産時代の1955年。産米競争を先取りしようとする新潟への風当たりは強かった。一方、メイ虫の薬剤駆除を契機に台風回避の早場米生産が本格化した西南暖地の中で、千葉はコシヒカリの耐暑性と良質に着目して普及に踏み切った。
  2. 早期早場米地帯では、コシヒカリはその柱となって急速に普及した。新潟は減肥栽培により、いもち病と秋雨による倒伏の軽減につとめ、1962年からは日本一うまい米つくり県民運動を起し、コシヒカリなど越糸品種に赤票箋「新潟米」と付けて市場人気を高めたが、1966年の政変に巻きこまれて中だるみした。
  3. 1969年自主流通米制度発足、1971年米生産調整開始。1970年田植・収穫機械化技術普及開始の大変革期に入り、多数の県がコシヒカリの普及を始めた。コシヒカリは機械枯密植による稲体の軟弱化で、いもち病と倒伏を誘発し、新潟をはじめ多くの県が、「機械化不向きコシヒカリ」にとまどい、西南暖地ではコシヒカリの作付が一時的に減少した。1971年の東日本の作柄不振は、機械化・銘柄化移行に伴なう構造不作(農林水産省)といわれた。
  4. 1973年指定銘柄制度、1978年銘柄価格差導入。新潟、富山、石川、福井は1974~57年、国県費による機械化良質米生産・品質保持技術に関する共同研究を行い、その成果を逐次普及して、生産者・団体を元気づけた。コシヒカリの収量は1975年から85年にかけて急上昇した。
  5. 1990年に自主流通米銘柄入札が制度化されて、品地品種間格差が拡大することになった。市場人気の高い、新潟コシヒカリ、とくに魚沼コシヒカリは最高値を維持している。一方、政府米価格は下向し、政府米と新潟、魚沼コシヒカリとの価格差は、1980年の2,500円/60kgから、1985年6,000~8,000円、1995年10,000~18,000円に拡大した。現在では入札価格も低下しているが、それでも、まだ5,000~12,000円もあり、生産者のコシヒカリ生産意欲を刺激している。
  6. 最近は、食味成分の数値化の研究・機器化が進み、産・品種の食味評価が一般化しているが、コシヒカリの食味値は高い。
  7. コシヒカリの作付率は、1999年全国で35%、新潟など北陸の産地でも80%になり、コシヒカリの過度の作付集中と、倒伏、作柄不安定が問題化している。しかし、「水田を中心とした土地利用型農業活性化対策」(農水省2000~)により、市場原理をてこに適地適産を促すコメの「新配分方式」(2001~)の動きもあり高品質のコシヒカリの生産作付け指向はさらに強くなるとみられる。

資料: 新潟県「新潟米」50年のあゆみ (1982)
日本作物学会北陸支部・北陸育種談話会:コシヒカリ (1995)
北陸農業試験場:「コシヒカリ物語」(1994) 等

コシヒカリの普及面積の変遷
図:コシヒカリの普及面積の変遷
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