江戸時代の名著「北越雪譜」には苦しかった雪国の生活が詳細に記載されています。明治末期になって何とか鉄道は除雪が行きわたり動くようになりました。
今でこそ多くの主要道路は「無雪道路」として、夜中に雪が降っても朝までに除雪が終わり、トラックやバスが疾駆しています。しかしこのような除雪は決して昔から行われていたものではありません。ほとんどの幹線道路が無雪道路になったのは、昭和40年代になってからなのです。
昭和20年の大豪雪や昭和38年のサンパチ豪雪など今でも語り草ですが、すべての交通機関がストップする、それはそれは大変なものでした。
新潟県南魚沼郡六日町の大崎地区は、江戸時代中期から雪の降るシーズンでも、漬菜の若い苔(とう)を食用にする習慣があり、「大崎菜」として長い伝統に支えられて栽培されてきました。この「大崎菜」は京都の壬生菜が起源といわれ、よく分けつしますが、葉の巾は「壬生菜」より広くなります。
冬になれば当然雪が降るのですから、現在では秋のうちにビニールハウスに定植して、雪のシーズンを迎えます。できるだけビニールを掛けるのが遅い方がアクが消えておいしくなります。ビニールなど無かった昔は八海山麓の暖かい火山性の清水を利用して直接菜の上に水を掛けて雪が積もり過ぎないようにしていました。現在でも清水はビニールハウスとビニールハウスの間を流され、消雪に役立っています。大正中期まではせいぜい長岡付近までの出荷でしたが、上越北線が塩沢まで開通すると、鉄道にのせてあちらこちらに運ばれるようになりました。
山形県の米沢市では、雪菜といって「長岡菜」を秋遅く植え込んで目印をしておき、雪中に伸びてくるとうを利用して食用にしている。「長岡菜」は低温でもとう立ちしやすく、またとうの立ち始める初期は植物の栄養分は総てとうに集中しており、大変おいしくなるものです。
また福井県の勝山市では「勝山水菜」という冬期間に雪を溶かして収穫する菜があります。これは雪国ではないのですが、静岡県の御殿場には富士山からの伏流清水を利用した「御殿場菜」があります。 とにかく雪国では冬季緑野菜が全くなくなり、青菜はビタミンA・C源として貴重なものでした。
これは筆者が実験で確認したことですが余程の寒地でないかぎり、雪下と地面の中間の気温は、0℃と1℃の間を保っています。電気冷蔵庫はサーモスタットで気温が下がれば電気が入り、上がれば切れる方式になっていますから常に波がありますが、雪下は全く直線状態に気温が推移します。利用法によっては電気冷蔵庫より正確な温度管理ができることになります。
ウクライナでは秋まきの小麦が、雪の多い年の方が安定して越冬できるとの報告もあります。しかしこの方法は限度があり、あまり雪が深すぎると、雪腐れ病などの被害を受けるのは事実です。
新潟県の佐渡では雪害を受けるほど大雪にはなりません。しかし冬期間適当に覆雪があるので風害から採種母本を守り、土壌湿度も適当に保つことができます。そのため採種産業が発達し、売り上げは5億円にも達するといわれています。また日本海沿岸地方にチューリップ産地が多いのは、適度な積雪で土壌湿度が適当に保つことも原因といわれています。
雪室は決して新しいものではありません。養蚕の盛んだった大正時代には蚕種(さんしゅ、おかいこの卵)を保存する為に、図1のような構造の雪室が建設されました。気温が高くなると蚕種はすぐかえってしまうので、とくに秋蚕や晩秋蚕用には低温で保存しなければならなかったのです。
この低温エネルギーを活用して物を保存しようとする動きは、オイルショックの時や、バブルがはじけた後ではますます盛んになってきました。新型の雪室は雪の貯蔵室を別に設けて、そこから冷気を誘導する施設もありますが、新潟県には直接雪で全面を覆う施設が多いのです。新潟県の山間部のように雪の多いところでは大量の雪を利用できますから、この直接方式が最も簡単なようです。大量貯蔵の場合は0℃~1℃というわけにはいかずやや高温になりますが、野菜の貯蔵などでは高温すぎるようなことはありません。ただ湿度が高いことは確かに問題で、時として低温性の細菌が繁殖して、貯蔵の生鮮野菜を腐敗とまではいきませんが、かなり傷めることがあります。また米や酒を貯蔵する試みも行われています。
秋まき小松菜の消雪とマルチの効果
新潟県高冷地農業技術センターの試験